渡辺曜研究委員会

渡辺曜について考察するブログです。

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2期11話の反省会:脱童貞とポストモダンの渡辺曜論

TVアニメ2期の渡辺曜について、渡辺総研が総括します。

1. 2期11話「浦の星女学院」における渡辺曜の評価

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TVアニメ2期第11話「浦の星女学院」については上の記事やほかの人が触れていると思うので、改めて言及することはありません。ここでは渡辺曜について言及します。

 

この回で差し込まれた描写の一つとして、いわゆる渡辺曜が高海千歌に対して、その気持ちを打ち明けるというものがありました。ある意味で友情ヨーソローのアンサー回ということもできるでしょう。

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正直に言えば、初めて見たときには非常に失望しました。それは渡辺総研が期待する渡辺曜像や展開が覆されたということであり、エゴ以外の何物でもありません。しかし放送直後は「こんなものを見せられるために渡辺曜研究をしてきたのか…」と大変ご立腹というか、やるせない気持ちになったことは確かです。

 

しかし結論からいえばそれは杞憂でしたので、ここではTVアニメ2期の渡辺曜について主に渡辺総研の見解を示します。TVアニメ2期全体を通して振り返りつつ、第11話を読み解き、改めて渡辺曜の存在について再考するという構成になります。

1-1. TVアニメ2期は出番が少ない渡辺曜?

TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期では、いわゆる「渡辺曜の出番が少ない」とする渡辺曜不遇時代を指摘する声がありました。

確かに台詞量などを定量的に比較すれば、おそらくTVアニメ1期よりも減少しているとは言えそうです(厳密に測定したわけではないので印象論はぬぐえませんが)。

しかし渡辺総研は渡辺曜研究の一環として、TVアニメ本編は渡辺曜を中心に視聴作業をしています。その立場で申し上げるとすれば、TVアニメ1期のころと作業量はさほど変わっていないのでそこまで出番が少ない印象はないですね。

TVアニメ1期の渡辺曜についても、2年生を中心にストーリー展開していた第1話~第3話、そして渡辺曜個人回といわれる第11話を除いて、そもそも渡辺曜自体が画面全面に出てくるキャラではありません。「渡辺曜の出番が少ない」という言説が、「渡辺曜推しが期待する曜ちゃんの魅力的なセリフや優遇描写が少ない」という意味であれば、その通りであるとは思います。

そもそもTVアニメ2期では1期ではあまり触れられなかったダイヤ・ルビィ・鞠莉・よしりこを中心に描かれた感もありますので、仕方ないといえばそうですが、そこまで悪くもなかったという印象です。

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1-2. TVアニメ2期における渡辺曜の所感

TVアニメ2期(正確には2期第1話から第11話までにおいて)の渡辺曜をまとめると次のような印象でした。

  1. うちっちー曜
  2. ヨーソローと普通怪獣ヨーソロー
  3. ようりこ
  4. G'sより寒がり設定

順に見ていきます。

1-2-1. うちっちー曜

渡辺曜がセンターを務める楽曲「恋になりたいAQUARIUM」こと恋アク、そのPVでも登場したうちっちーですが、TVアニメ1期での申し訳程度の登場から一転、TVアニメ2期では公式スポンサーとでも言いたげな出番プッシュの印象でした(実際に三津シーはEDクレジットに出ているので公式スポンサーといえなくもないかもですが)。

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またうちっちーはファンサービスという域を超えて、もはや「うちっちー=渡辺曜」とでも言いたげな描写がTVアニメ2期での特徴になります。第11話「浦の星女学院」では廊下を走るうちっちーをみて千歌さんにも「曜ちゃん…だよね?」などと言われています。うちっちーを渡辺曜の抜け殻みたいに扱うのはさすがに正気を疑いますね。

実際にうちっちーからいつまにか脱皮していた渡辺曜の謎は示されませんし、これがもし「一皮むけた」→「脱童貞」→「童貞卒業おめでヨーソロー」という公式からのメッセージなのであれば、渡辺総研はおとなしく渡辺曜推しになりますよ。

 

これもすべては2期第4話「ダイヤさんと呼ばないで」が元凶、渡辺曜がうちっ首ーを脇にもって歩き回るのがいけないんですね。逆に2期11話で「うちっちー=渡辺曜説」を思わせるために、あえて着ぐるみから顔出ししていたという伏線とも解釈できます。ちょっとここらへんは公式の手のひらで踊らされてる感がありますね。

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一応フォローしておくと、渡辺曜とうちっちーは恋アクPVなどによって、「自分の気持ちを素直に出せない姿勢を、うちっちーの着ぐるみに身を包むことで表現している」との解釈があります。つまりうちっちーとはある意味で渡辺曜の仮面であり、同時に渡辺曜自身でもあるということです。これに沿って考えると、2期4話「ダイヤさんと呼ばないで」で顔出しをしてうちっちーの着ぐるみを着る渡辺曜は、少しずつ自分の気持ち(表情)を示せるようになった渡辺曜の成長ととらえることもできます(だから2期4話EDカットでは渡辺曜が出てきた)。

 

あるいは2期11話「浦の星女学院」では全身うちっちーの着ぐるみでありながらも「曜ちゃん?」とその正体を看破されます。これはそうした仮面(うちっちー)をつけているのが渡辺曜という存在であり、仮面を無理やり取り払うのではなく、そうした仮面をつけた存在としての渡辺曜を肯定するということを意味します。つまり2期4話の「ダイヤさんの自分らしいありのままの姿を肯定する」のと同じロジックが働いているとの解釈もできます。

 

うちっちー登場は単なるファンサービスである、という以外の目線で見るのであれば、このような解釈もできるでしょう。

 

1-2-2. ヨーソローと普通怪獣ヨーソロー

渡辺曜といえばヨーソローですが、逆に言えばそれ以外でキャラ立ちする手段がないことの裏返しでもあります。これは渡辺曜の二次創作とかを書いている人であればより詳しいかもしれません。

たとえばビジュアル描写などを抜きにして、台詞のみで渡辺曜を表現するのはわりと難しいんですよね。「~であります!」とか「ヨーソロー!」を使えば、それっぽくはなるのですが。浦ラジ第88回でも伊波さんに「それ(ヨーソローというセリフ)言っとけば曜ちゃん説あるよね」とまで言われていますから、実際そうなんじゃないかなと思います。

TVアニメ1期では「渡辺曜がヨーソロー言いすぎてうざい!」といった声も一部でありましたが、「ずら」「ピギィ!(ぅゅ!)」のように鳴き声に転化できないためという事情もあるでしょう。渡辺曜を常識人やいい子とは別にキャラ立ちさせるという意味では、これはわりと欠陥構造だと思う時はあります。まあしかしそれは今に始まったことではないので別にいいです。

問題は「普通怪獣ヨーソロー」ですね。これを初めて聞いたとき乾いた笑いが漏れてしまいました。それは「いやいや渡辺曜が普通だったら渡辺総研こんなブログやってねえし!」くらいの意味合いだったのでしょうね。なので最初は聞き流していたのですが、最近はまた違った意味合いを帯びてきているかのような印象もあります。

少なくともTVアニメ1期におけるようちか論争の言説のひとつに、「普通性を偽装する〈特別〉としての渡辺曜」というものがありましたから、素直に受け取れば「渡辺曜も普通の女の子だった」ということになります渡辺曜の人間化ぁ?認められないわぁ

1-2-3. ようりこ

これはTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』1期からもその兆候は認められましたが、いわゆるようりこ描写が多かったですね。お互いにある意味で千歌さんに振り回される立場や常識人といった共通点から二人が意気投合するのは理解できます。

また1期第11話「友情ヨーソロー」では千歌さんよりも先に渡辺曜と桜内梨子は本音を吐露できていますから(正確には電話で渡辺曜が一方的に本音を漏らしただけだが)、そのことで2人の間での信頼関係がより強固なものになった可能性はあります。

単に残り物をくっつけただけという見方もできます。一方でよしりこの確立によって、いわゆるようちかにどのような影響を及ぼしたのかなど、まだまだ検証が必要な部分も多いです。

1-2-4. G'sより寒がり設定

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電撃G’sマガジン2017年2月号を買ったのでレビューっぽいもの - 渡辺曜研究委員会

TVアニメ2期の渡辺曜の特徴として寒がり設定が付与があげられます。これは電撃G'sマガジン2017年2月号での設定イラストが回収されたものとの解釈が一般的ですので、いわゆるG's準拠の設定になります。

 

正直「へー寒がりなんだ。だからなに?」という印象なのですが、今のところ「寒がりな曜ちゃんかわいい~」とか「寒がりな曜ちゃんを温めてあげましょうね~(ゲス顔)」といった2次創作的素材提供以上の意味を見出せません。もちろん普段高飛び込みで水着を着る機会の多い人が寒がりである、という意味では意外性はあります。

しかしながら、それは本編で水着描写があって初めて成り立つのであって、1期1話の回想を除いて、一切の水着描写が示されていない渡辺曜さんでやられてもそこまで意外性もなにもありません。

 

むしろスクフェスの水着スノボイラストでおなじみのUR渡辺曜のほうがまだ意外性がありました。

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渡辺曜の寒がり設定はこのほかにもいくつか解釈はできますが、現状はG's設定をなぞる以上の意義が見えないというのが正直なところです。「制服好き/裁縫スキル」の設定についても、後者は2期の黒澤ルビィさんが奪還したことで、渡辺曜はただの制服オタクになり果てました。渡辺曜の抱える設定役割が一部分割され、わりとどうでもいい寒がり設定が転がり込んだという意味においては、劣化したともいえるかもしれません(ゲーム的な言い方をすれば「性能がナーフされた」ということです)。 

2. 2期11話「浦の星女学院」における渡辺曜

以上の前提を踏まえて、改めて2期11話「浦の星女学院」の渡辺曜を振り返ってみます。

2-1. 2期11話「浦の星女学院」でよかったところ

(画面切り替わり閉校祭アーチ前)

渡辺曜ほっ…!ふぅ…、これでよし!

渡辺曜(周囲に人がいないことを確認して)イッヒヒ…

渡辺曜がみかん箱の上に乗る

渡辺曜スクールアイドル部で~す!よろしくお願いしま~す! あなたも、あなたも、スクールアイドルやってみませんか~!!!

千歌はいっ!スクールアイドルやります!

笑いあう千歌

渡辺曜なんか、静かだね。学校はあんなに賑やかなのに

千歌うん、なんかいいよね、そういうの。外は普通なのに、学校の中はみんなの夢で明日に向いてワクワクしてて、時が過ぎるのも忘れていて、好きだなあ、そういうの。ずっとこのままだったらいいのにね。明日も明後日も、ず~っと! そしたら、そしたら…

渡辺曜わたしね、千歌ちゃんに憧れてたんだ。千歌ちゃんが見ているものが見たいんだって、ずっと同じ景色を見てたいんだって。このまま、みんなでおばあちゃんになるまでやろっか!

千歌うん!

↑台詞は〈TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期11話「浦の星女学院」〉より

まずは渡辺曜の「スクールアイドルやってみませんか~?」という台詞、これはTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』1期1話「輝きたい」で千歌さんが言っていた台詞のオマージュですね。若干セリフ回しが異なりますが、同じ「西浦みかん」の箱の上に乗っていること、正門前付近での描写であることからほぼ間違いないでしょう(どうでもいいのですが、女子高生の体重を支えられるだけの強度なのですかあの箱は?)。

 

ここでのポイントは渡辺曜さん自身がスクールアイドルに真摯に向き合っているということですね。TVアニメ1期1話「輝きたい」では渡辺曜は確かにスクールアイドル部に一番乗りで加入します。しかしながら、先の千歌さんの勧誘時にも渡辺曜はダラダラとビラ配りをするだけにとどまり(1期3話「ファーストステップ」では見知らぬ人でもビシビシビラ配りができていたにもかかわらず)、「渡辺曜は本当はスクールアイドルに真剣ではないのではないか?→渡辺曜は高海千歌のスクールアイドルとしての成功を望んでいない」という疑惑がありました。これは放送当時に渡辺総研も考察していました。

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結論から言えば「渡辺曜は千歌さんと一緒に何かしたいと常々思ってはいたが、その都度千歌さんに断られてしまい、千歌さんが今度はあきらめずにちゃんと真剣であるのか見定めていた」というのが本編に即した実態のようです。そのため渡辺曜がかつての千歌さんの立場に文字通り立って勧誘することは、「渡辺曜がスクールアイドルの輝きに触れ、心からスクールアイドルを楽しめるようになった」ことの証左であります。この点は『ラブライブ!サンシャイン!!』という作品にも通じるテーマなので非常に良かったですね。

 

また渡辺曜がスクールアイドルの勧誘をし、千歌さんが「はいっ!スクールアイドルやります!」と答えたところも重要です。TVアニメ1期の千歌さんはμ'sに出会うことで、等身大としての自分の輝きを見つけたい!とスクールアイドルを志します。しかし2期では浦の星女学院の廃校問題や、周囲の生徒たちの期待を背負うことでプレッシャーや身の丈以上の責任感を感じることになります。いわば「輝きたいというエゴ」と「学校を救わなければならない」という相反する思いに揺れ動き、本来の目的であった輝くことから遠ざかりつつありました。

 

第11話の本編ではすでに浦の星女学院の廃校が決定しています。Aqoursとしてラブライブに優勝して浦女の名をラブライブの歴史に刻むという目標こそあれども、今やそれぞれの輝きを見つけるという本来のスタンスに回帰しています。そのためこのタイミングで改めて「スクールアイドルやります!」と宣言することで、輝くことを目標とする本来の意味でのスクールアイドルに原点回帰する、そのイニシエーションとして機能するわけです。

 

また渡辺曜が自分の本心を千歌さんに真正面から伝えられた点は大変素晴らしかったですね。これは1期11話「友情ヨーソロー」ではできなかった、自分の本心を打ち明けることにほかなりませんから、高く評価します。また「千歌ちゃんと同じ景色を見たい」というのは、2期1話で他メンバーとは異なり、千歌さん側に立って「奇跡を!」と言っていたシーンからも読み取れますね。同じ向きから同じ景色を見ていたいという意識の表れであったみなせるでしょう。

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↑画像は〈アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期1話「ネクストステップ」〉より

ちなみに「わたしね、千歌ちゃんに憧れてたんだ。千歌ちゃんが見ているものが見たいんだって、ずっと同じ景色を見てたいんだって。」「このまま、みんなでおばあちゃんになるまでやろっか!」という台詞は実は前後の文の繋がりがあまり感じられません。前者は渡辺曜の高海千歌への内心の告白ですが、後者は補語がないなど実はかなりぼかされています。「みんな」がAqoursメンバーなのか浦女の生徒なのか、あるいは「おばあちゃんになるまでやろう!」がどんな行為を指しているのかわかりづらいですね。

前後の文脈から素直に読み解けば、「浦女のみんなで浦女の閉校祭(の準備のような楽しい時間)をおばあちゃんになるまで(いつまでも)やろう(実際問題やるのは無理だけどやりたいね)」ということになります。しかしこのあたりはいくらでも深読みできそうなので、渡辺曜ならではの台詞回しといえそうですね。

2-2. 2期11話「浦の星女学院」でダメだったところ

ダメというか、もったいないな~と思ったところなのですが、いわゆる渡辺曜と高海千歌の関係性をめぐっては、以下のような描写があるべきだったと渡辺総研は考えます。

  1. 千歌がなぜ渡辺曜の誘いを断り続けてきたのか
  2. 渡辺曜はなぜ千歌に憧れを抱くにいたったのか
  3. そもそも高飛び込み描写がないのが致命的

 

千歌さんをめぐっては、千歌母の台詞などから「なにかに挑戦するたびにあきらめてきた千歌さん像」が示唆されています。そのため「自分が途中でやめてしまうことで曜ちゃんに迷惑をかけたくない」といった理由で中学時代に渡辺曜からの誘いを断っていたのではないかという憶測は成り立ちます。しかしあくまで憶測ですので、実際のところはわかりません。

さらにいえば、渡辺曜以上に、高海千歌というキャラはその内心が描かれづらいというか、特に渡辺曜へのスタンスが非常に見えづらいんですね。なのでこの理由を高海千歌本人の言葉として聞きたかったというのが1点あります。

 

次に「渡辺曜がなぜ千歌に憧れを持つようになったか」ですが、これは憶測になりますが渡辺曜はかなり幼いころから千歌さんに憧れを抱いていたと考えられます。たとえば千歌さんは幼少期は割とやんちゃ坊主疑惑があるので、なんにでも挑戦する千歌ちゃんに憧れた渡辺曜はあってもいいです。

ここらへんは公式の描写というよりも二次創作的な見方になってしまい恐縮なのですが、高海千歌はいわゆる普通コンプレックスを持っていることがTVアニメ1期で示されています。この普通コンプレックスは2期6話「Aqours wave」で建前としては解消されることになります。

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自分のことを普通だと思っている千歌さんが、あきらめずに挑戦し続けるからこそみんながついていきたいと思える」という指摘は重要ですね。これこそが逆説的に高海千歌が普通でないことのなによりの証です。そして高海千歌の普通コンプレックスというのは、渡辺曜が大きな原因ではないかという予想が渡辺総研の中であります。つまり「普通コンプレックスの原因となった渡辺曜が、実は渡辺曜こそが高海千歌に憧れを抱いており、そのことにより高海千歌が自らの輝きを取り戻すという構図」がもっとも美しいのではないかと思うわけです。これは2期11話「浦の星女学院」でもわりとおさえられているとは思いますが、「そこまでやるなら上記の部分も描いてくれよ」というのが渡辺総研の嘘偽りのない本心です。

いわゆるようちかは割と負けず嫌いというか、お互いに弱いところは見せないといった意固地なところがあると思います。また千歌さんも渡辺曜もAqoursメンバーのわずかな変化や心の機微にも気づけるだけの人格を備えています。しかしなぜかその2人になると急に言葉足らずの不器用を発揮してしまうのが不思議でなりません(まあここがようちかの最大の醍醐味といえるかもしれません)。これは幼いころからずっと一緒にいるという、腐れ縁にも似た幼馴染という境遇であることとも無関係ではないでしょう。

しかしTVアニメ『ラブライブサンシャイン』2期9話「Awaken the power」においては、黒澤姉妹と鹿角姉妹、そして高海姉妹といった姉妹関係にフォーカスが置かれ、事実として姉妹で想いを伝えること、その成長が描かれました。

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生まれたときから一緒の姉妹にできて、幼馴染にできない道理はないと思うのですが、そうではないのですかね? こちらは公式があえて姉妹と幼馴染の関係性を差別化するために意図的に仕組んだものだとすれば、渡辺総研はおとなしくようちか推しになりますよ。

いずれにしても才能というものは他者から観測されて初めて発掘されます。高海千歌さんの才能を発掘するのは渡辺曜かもしれませんし、桜内梨子さんかもしれません(あるいはその両方)。

 

最後の高飛び込み描写がないという文句は11話に限らず、TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』全体への愚痴になります。これは渡辺総研の個人的な意見になりますが、渡辺曜の最大の魅力はその「不気味さ」なんですよね。何を考えているのかよくわからないところがたまらなく好きです。その不気味さの源泉は何かと考えてみた場合、ひとつ考えられるのが、「自身は高飛び込みの有望選手でありながら、それをある意味で平気でなおざりにして、スクールアイドル(あるいは高海千歌)に没入できるところ」なんですね。

 

「確かにTVアニメで高飛び込み設定は出ないけど、漫画とか別媒体で見れるし、別に良くね?」という指摘はその通りだと思います。しかしながら、高飛び込みを理由なく捨ててスクールアイドルに打ち込む渡辺曜はTVアニメのみの設定だということにも着目すべきでしょう。

たとえばSIDでは渡辺曜はスクールアイドル部と高飛び込みを兼部(正確には高飛び込みは外部のスイミングスクール(?)通い)しています。クラスメイトにも「将来有望な選手なのになぜスクールアイドルなんかにかまけてるの?(意訳)」といわれますが、「内浦ではやりたいことも人数が足りずにできない→だからなにかやりたいことがあればとりあえず参加する→スクールアイドルも高飛び込みも、一度やると決めたらどちらもやりきる!」という非常に明快なロジックで渡辺曜はスクールアイドル・高飛び込みに取り組んでいます。

 

漫画版『ラブライブ!サンシャイン!!』においても上記のSIDに準拠したものであると考えられます。一応漫画の描写からのみで読み解くと、水泳部を辞めるときにも「カロリーメイト」のことしか考えていなかったので、「渡辺曜にとって高飛び込みはそこまで重要な要素ではない(少なくとも表面上は)」ことが読み取れます。なのでスクールアイドルを「本当に楽しいと思ったから始める」という流れも理解しやすいです。

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電撃G’sマガジン2017年11月号のレビューっぽいもの - 渡辺曜研究委員会

ではTVアニメ1期・2期における渡辺曜はどうだったのか。渡辺曜は高飛び込みの活動もしているようなのですが(少なくとも辞めたという描写は一切ない)、そもそも高飛び込みをやっている描写がまったく描かれません。

それどころかスクールアイドルの練習にとどまらず、衣装づくりやイラスト能力の高さも示しました(TVアニメ1期より)。

このようにスクールアイドルと高飛び込みの両立というもっとも困難なタスクを平然とこなしつつ、スクールアイドル部ひいては高海千歌に尽力する渡辺曜という存在は、完璧超人の域を超えて、もはや不気味な存在といわざるを得ません。このような不気味さが、渡辺総研が渡辺曜に惹きつけられた最大の要因だと思いますね。

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ではTVアニメでも高飛び込み描写を出せば解決するのかというと実はそうとも言い切れないところがあります。むしろ高飛び込み描写を一切出さないからこそ、そうしたキャラクター造形に重大なゆがみが生じ、結果として渡辺総研のような人間に支持されているという経緯があるので、一概に間違いとも断じられません。

少なくとも、ここで述べた「不気味さ」という意味での渡辺曜の魅力は、実はTVアニメ1期・2期特有の要素であることは明らかです。

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↑画像は〈アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期10話「シャイニーを探して」〉より

↑TVアニメ2期で、渡辺総研的ベスト渡辺曜ショット。かわいさ、美しさ、不気味さ、狂気、ありとあらゆる感情を想起させる表情が素晴らしいですね。

 

まあ長々と書きましたが、要は11話面白かったので欲張っていろいろ言いたいところあったぜ!ということでした。 

3. ポストモダン渡辺曜の条件

話は変わりますが、ここでは渡辺総研による渡辺曜の総括をしたいと思います。

TVアニメ2期における渡辺曜とはなんだったのか、あるいはTVアニメ1期における渡辺曜とはどう違ったのかということですね。

一言でまとめると、TVアニメ2期の渡辺曜は「脱童貞」であったといえます。

これは「渡辺曜が実は男で童貞捨てやがったぜイェーイ!」という意味では決してありません。「渡辺曜は童貞である」という言説がまことしやかにささやかれており、TVアニメ2期はこの渡辺曜童貞説を否定するための1話から11話であったということです。つまり「渡辺曜は童貞であると言われている状況から脱却する」という意味における「脱童貞」ということです。

渡辺総研は2期1話「ネクストステップ」を見て、「渡辺曜は他キャラと比べて成長が見られないんだけど大丈夫?」みたいなことを書いていました。

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もちろん物語としてはTVアニメ1期と地続きなわけですから、当然1期11話「友情ヨーソロー」などを経て渡辺曜さんも成長はしているはずです。しかし渡辺総研の感想としてTVアニメ1期からTVアニメ2期の渡辺曜の描写にはどこか時系列がすっぽりと抜け落ちているような、そんな違和感がありました。さながら新古典主義建築からポストモダン建築に急転向したかのような唐突さがありました。

この違和感の正体の一つとして、脱童貞が関係するものと思われます。つまりTVアニメ2期は渡辺曜が童貞であることを否定していたというよりも、渡辺曜童貞説はTVアニメ1期11話「友情ヨーソロー」に起因するものであり、むしろ「渡辺曜童貞言説」こそ例外的かつ異端なディスコースであり、TVアニメ2期の渡辺曜はむしろTVアニメ1期に続く通常営業に過ぎないのだということです。

このように考えると渡辺総研の往年の謎も氷解するようでした。思えば渡辺総研が渡辺曜に対してポストコロニアル的文脈で読み解こうとする姿勢は、自分でもかねてより不思議ではありました。しかし2期第11話「浦の星女学院」を見てその理由がわかりました。渡辺曜とはすなわちこれポストモダンであると。つまり渡辺曜がTVアニメ1期のころの渡辺曜に原点回帰するためのTVアニメ2期であり、渡辺曜が童貞であることをなかったことにするための2期であったと結論付けられます。

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1期11話「友情ヨーソロー」により、既存の渡辺曜時代が急激な転換点を迎えたことに対して、渡辺総研はこれを「ポスト渡辺曜イズム」と命名しました。仮にTVアニメ2期全体に名前を付けるのであれば、これは「ポストモダン渡辺曜主義」ともいえるものです。渡辺曜は童貞であるという言説の成立条件が崩壊し、TVアニメ1期という近現代に再帰しようとする世紀、それが渡辺曜におけるポストモダンなのです。

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↑画像は〈アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期3話「」〉より

↑大好きな千歌ちゃんに抱き着かれたのにノーリアクションのため不感症とまで言われてしまった渡辺曜さんの図

 

しかしポストモダン渡辺曜主義時代にも「渡辺曜童貞説」を思わせる描写は存在します。

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↑画像は〈アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期1話「ネクストステップ」〉より

鉄棒でスカートをはためかせた千歌さんに対しての変態ようりこの構図ですね。これが渡辺曜1人のカットであれば間違いなく童貞渡辺言説が補強されていたはずですが、ここでは梨子さん(レズの口)が加わることで、童貞というよりも童貞レズとしての側面が補完されている点がポイントになります。

 

よって2期1話「ネクストステップ」での上記のような童貞レズの描写を除くと、渡辺曜童貞説につながる言説描写はほぼ皆無といえます。

 

まとめるとポスト渡辺曜イズム時代における「渡辺曜童貞言説」と、ポストモダン渡辺曜主義時代における「渡辺曜童貞言説」では、その周囲をめぐる状況が変貌しています。これによる渡辺曜童貞言説そのものの変貌も十分考えられますし、ほかの渡辺曜言説についてもなんらかの変化が見られるかもしれません。

いずれにしてもTVアニメ1期・2期における渡辺曜を読み解くうえで「童貞」というキーワードは欠かせません。渡辺総研としては、引き続き渡辺曜をめぐる言説変遷に着目し、通時的視点に立って分析することで渡辺曜研究をさらに全速前進ヨーソローさせていくことを目標とします。

 

4. 総括

というわけで渡辺総研による渡辺曜論の記事でした。

思えば渡辺総研がTVアニメ2期における渡辺曜についてがっつり触れたのはこれが最初なんですよね。そして今後触れる気も特にないので、最初で最後になる予定です。

最初に2期11話「浦の星女学院」を見たときは落ち込みましたけど、今こうして新たな気づきや展望を得ることができたのでその意味では感謝しています。

2018年も渡辺曜研究が進むといいでつね。後ろの一問一答はおまけコーナーです。

5. おまけ・渡辺総研の一問一答

最近渡辺総研が目にしたコメントや指摘について個別に回答するコーナーです。

5-1. Q.1 渡辺総研は渡辺曜を神とするシンクタンクなのか?

間違ってはないですけど正確でもないですね。補足させてください。

まず渡辺総研は「渡辺曜は神だ!崇めろ!奉れ!」とか主張しているわけではないですね。ある種の世界観の信奉を客観的論拠もなく強要するのはシンクタンクではなく、もはや宗教法人渡辺総研になってしまいますね。

渡辺総研が言っているのは「渡辺曜は神ではないとは言い切れないので渡辺曜は神である可能性がある」ってことです。個人的に神であるほうが都合がいいというか、好きであることは確かですが、さすがに無条件で肯定はできないので、せいぜい「渡辺曜の神性」については議論の余地があるといったところでしょうか。

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この「神性」という言葉は、神様うんぬんというよりはシステムとしての側面が強いかもしれないですね。たとえば「神様はいるか?いないか?」という問いを議論するとしましょう。この問いが示すことは神の存在の有無ではなく、「神」というシニフィエ(と便宜上置きますが)が賛成派・反対派ともにすでに了解されているという事実です。つまり神とは人類が普遍的に暗黙のうちに認めているある種の共通項であるとの言い方ができるわけです。

この共通項が人知を超えた概念なのか、社会システムなのか、関係性なのかはわかりませんが、渡辺総研が〈神〉という言葉を使う時は、この共通項を指して言うことが多いです。シンクタンクとしての渡辺総研は、この共通項(=渡辺曜の神としての側面)をポスト構造主義の立場で読み解くことを目標としています。

整理すると、渡辺曜研究には3つの種類があるということです。

  1. 渡辺曜のキャラクター分析(e.g. 渡辺曜を再考するシリーズなど:渡辺曜を再考する⑮:「渡辺曜から読み解く”マウンティング行為”」 - 渡辺曜研究委員会
  2. 渡辺曜の神学的解釈論(e.g. 渡辺総研(=筆者)の個人的趣味:渡辺曜を再考する⑰:「渡辺曜がイエス・キリストである10の理由」 - 渡辺曜研究委員会
  3. 渡辺曜の社会学的分析(e.g. シンクタンク渡辺総研として公的研究アプローチ:渡辺総研レポート②:「渡辺曜挙国一致内閣の趨勢と渡辺曜敗戦論」 - 渡辺曜研究委員会

なので最初の問いに戻ると、「渡辺総研は渡辺曜の神学的解釈論という意味では渡辺曜を神的なものとみなしているけれども、それ以外にもキャラクターや社会学的アプローチの研究もしっかりやってますよ」ということです。まあ神といっても包括概念ですからね。こういう指摘が出るのは致し方ありません。

5-2. Q.2 いわゆる渡辺曜(本人)界隈における童貞渡辺と母ひろこ概念について 

渡辺曜にはいわゆる童貞概念があるといわれています。これはTVアニメ1期11話「友情ヨーソロー」が発端となっているとする説が有力です。

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この背景に付随して、渡辺総研のTwitterのフォロワーさんなどによるいわゆる渡辺曜界隈の一部では、「童貞渡辺」「渡辺曜の母ひろこ」「渡辺曜の内弁慶論」などの一連のインターネット・ミームがあります。

渡辺総研も当初は渡辺曜を解明するうえで非常に興味深い言説だと感じたのですが、結論から言えばこれらの言説は『伊集院光 深夜の馬鹿力』における構成を務める渡辺雅史さんとその母ひろこが元ネタであることが判明しました*1

つまりこれらの言説は「オタクによる渡辺曜の風評被害である」といってしまえばそれまでです。しかしながら、問題はそこではなく、なぜ「渡辺曜=童貞説」がささやかれるのか、その親和性の高さはどこから来るのかという点でしょう。もっともTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』では津島善子も童貞言説に絡めとられることがあり、この童貞言説が渡辺曜固有のものなのか、あるいは渡辺曜にもっとも強く発現するものなのかという点などは慎重な調査が必要です。

しかし個人的な見解として、渡辺曜はこうした様々な無関係とも思える事象が乗りやすいというか、ネットミームとして非常に優秀な言説キャリアとしての側面があると感じます。渡辺曜にまつわる言説について渡辺研究庫などを活用し、さらに収集・分析する必要があります。

5-3. Q.3 渡辺曜は吉本隆明の対幻想で説明できるのか?

吉本隆明氏は「大衆の原像」論、「共同幻想」などの概念で知られる方ですね。吉本隆明氏は著書『共同幻想論』の中で人間関係は「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」の3つに分類できるとしています。

共同幻想 - Wikipedia

共同幻想論 - Wikipedia

渡辺総研は浅学のため吉本隆明氏の本はちゃんと読んだことがありません。そのため詳しいところはわかりかねます。現状の理解としては、共同幻想がマルクスでいうところの「上部構造」に対応するといわれてなんとなくわかった気にはなっています。

少なくとも対幻想の定義がざっと調べた限りではよくわからないのですが、これが「性的交渉」「家族の本質」「一対一の関係」という3つの特徴を持っているとすれば、いわゆるに2者間相互コンテクストとしての性質を帯びることになります。

渡辺総研も渡辺曜を考察するにあたって、「二者相関のコンテクスト」という造語によって説明しようと試みた時期がありました。日本の思想家が掲げる概念にこんなことをいうのは恐れ多いのですが、渡辺曜をそれ主体としてではなく関係性(コンテクスト)で読み解こうという意味では、対幻想も二者相関のコンテクストも方向性は一緒ということです。

www.wtnbyou.com

まあただ渡辺総研も渡辺曜をただ文脈と置き換えるのは少々乱暴すぎるかなあと思い直し、今はあまり使っていません。吉本隆明氏も最終的には「国家と国民」の関係性、さらにいえば「日本国民と大日本帝国臣民」という構図に繋げようとしていたようにも見えますし、それを渡辺曜にそのまま当てはめるのはいかがなものかとは思いますね。しかし渡辺曜を国家と結びつけたくなる気持ちはとてもよくわかります。

 

5-4. Q.4 渡辺曜を読み解くのに役立つ概念や著作などはある?

これは渡辺総研も日々考え続けていることなのでむしろ教えてほしいくらいなのですが、渡辺総研は渡辺曜をメディア、あるいはフレーム(額縁的なもの)とみなすことが多いですね。その前提の上で、最近これじゃね?と思うのはブライアン・マッスミ氏の情動(affect)の概念です。しかしこれもまだ仮説の域を出ないので、むしろこれとかどうですか?などあればブログのコメント欄やTwitterなどで教えてほしいですね。一応下に匿名の質問箱も置いておくのでこちらからでも結構です。

peing.net

Parables for the Virtual: Movement, Affect, Sensation (Post-Contemporary Interventions)

Parables for the Virtual: Movement, Affect, Sensation (Post-Contemporary Interventions)

 

*1:同言説のインフルエンサーの1人と思われる渡辺曜(本人)さんへの質問によって判明。ただし回答サンプルが1名だけなので、これをもって元ネタと断定すること、あるいは現状のミーム言説の内実の変遷がないとすることは困難である。さらなる調査が必要