「渡辺曜は境界を超越する」という仮説の検証記事です。
- 1.境界を超越する渡辺曜
- 2.仮説①:「渡辺曜は境界を超越する」
- 3.バレンタインメッセージから見る〈渡辺曜〉の〈超越性〉
- 4.ユーザーの身近に接近する〈渡辺曜〉
- 5.〈リアリティ〉の体現者:渡辺曜
- 6.『ラブライブ!サンシャイン!!』を繋ぐ窓 渡辺曜
- 7.そもそも『ラブライブ!』こそが『同調可能性』の産物である
- 8.総括
*一部追記しました。【2016年11月14日・追記】
*2016年11月20日に本文更新しました。【2016年11月20日・追記】
*2016年12月14日に本文更新・画像差し替えを行いました【2016年12月14日・追記】
1.境界を超越する渡辺曜
渡辺曜といえば「高飛び込み」である。
公式サイトのプロフィール蘭によれば実力はナショナルチーム級と書かれているほか、彼女の得意技である「前逆宙返り3回半抱え型」は世界を見渡しても試合で使えるのは数人だけと言われているほどの最高難易度を誇る技である。
このことからも渡辺曜の飛込競技選手としての実力の高さが分かるだろう。
・渡辺曜ちゃんの得意種目「前逆宙返り3回半抱え型」の説明。なかなか文字で表現するのは難しいが、簡単に説明すると、飛び込み台から前に向いて後方に回転。ひざを抱え込んだ状態で3回転半するという飛び込みでも最高難易度の大技です。渡辺曜 pic.twitter.com/sfdn4PhW5N
— ラブライブ!News &サンシャイン☀︎ (@LoveLivesunshin) 2015年10月12日
ちなみに「高飛び込み」で辞書で調べてみると、次のようになる。
水面から 5m,7.5mないし 10mの高さの固定した台からプールに飛び込み,踏み切りの高さ,フォームの安定性と美しさなどを競う飛び込み種目の一つ。演技は踏み切り方法,飛び込み方法により前飛び込み,後ろ飛び込み,前逆飛び込み,後ろ踏み切り前飛び込み,ひねり飛び込み,逆立ち飛び込みの6群に分類され,各群から1演技ずつ (女子は任意の5群を選択) 行なう。
『ラブライブ!サンシャイン!!』一話では、千歌の回想場面で曜ちゃんが幼いころから優れた飛込みの才能を持っていたことが分かります。
さて、筆者はこの「高飛び込み」という点に注目した。
2.仮説①:「渡辺曜は境界を超越する」
お前は何を言っているんだと思われるかもしれないので、順を追って説明する。
そもそも「高飛び込み」とは、当たり前だが空中から落下し、水面下に飛び込む競技である。少し大げさに言えば、「普段我々が呼吸する日常世界」から「人間にとっては異質な水中世界(=異世界)」に没入する行為とも言える。
その意味で捉えると、「高飛び込み」は「日常世界から異世界へと横断する行為」、すなわちを〈境界を超越する行為〉と言えるのではないだろうか。そこから上記の仮説、つまり「渡辺曜は境界を超越する」という推測を導き出すことができる。
もちろん、根拠もない仮説だけでは不十分だ。よって、次は渡辺曜が境界を超越する例について具体的に言及していく。
3.バレンタインメッセージから見る〈渡辺曜〉の〈超越性〉
2016年2月14日にAqoursの各メンバーよりバレンタインメッセージが配信された。この章では各メンバーのメッセージを分析しつつ、「渡辺曜の超越性」について考察していく。
まずは各メンバーの大まかな特徴について述べる(メッセージそのものは一分半程度なので、時間があれば聞いてみるとよい)。
3-1.《バレンタインメッセージ:各メンバーの特徴比較表》
表では①メッセージのシチュエーション・特徴、②渡したチョコの種類、③視聴者への一番の口説き文句、の三つの項目を各キャラクターごとにまとめた。
表を確認するとわかるように、各メンバーごとにそれぞれのキャラクターを反映した個性豊かな内容であることがわかる。では、その中で「渡辺曜」はどのようなメッセージを送ったのだろうか? 以下に全文を書き起こしたので順を追って見ていこう。
3-1-1.渡辺曜のバレンタインメッセージにおける談話分析
《渡辺曜バレンタインメッセージ・書き起こし文》
渡辺曜「わああっ…! 大変大変たいへーん!
ねえ、ねねねっ! 今日は実は特別な日だったって、君は知ってた?
うわああ…、曜は全然知らなかったヨウ…。っていうか、忘れてたぁ~。えへへへへっ…。
だってさ、昨日はAqoursのハードな練習の後、飛び込みのレッスンもあって、家に帰ってきて、ふかふかのベッドを見たとたんに、思わずバッタリ倒れこんじゃって、そのままぐっすり寝ちゃったんだも~ん。
だからぁ、実はもうお腹がペッコペコ!
ねえ、だから一緒に食べない?
じゃ~ん! 朝家を出るときに慌ててつかんできたチョコチップクッキーファミリーサイズ!
いっぱいあるから一緒に食べても大満足~! これで二人のハッピーバレンタインだね! ヨーソロー!」
1.わああっ…! 大変大変たいへーん!
--三回も繰り返すとは相当「大変」か、慌てていたのだろう。文字にするとバカっぽくも見える…。
2.今日は実は特別な日だったって、君は知ってた?
--そしてまさかのバレンタインを忘れてたことを示唆。実はこの時点で他メンバーとの差別化に成功している点は興味深い。
3.うわああ…、曜は全然知らなかったヨウ…。
--しかもなぜかここでダジャレを披露。しかしここでは言及しない(気づいていない)ことから渡辺曜の「天然っぷり」が読み取れる。あるいは、いい具合の脳筋頭の緩さを演出している。
4.っていうか、忘れてたぁ~。えへへへへっ…。
--全体的に語尾を伸ばすのが特徴。幼さ、乙女らしさを強調するこの話し方は「天然」か、はたまた「意図的」なものなのか…?
5.だってさ、昨日はAqoursのハードな練習の後、飛び込みのレッスンもあって、家に帰ってきて、ふかふかのベッドを見たとたんに、思わずバッタリ倒れこんじゃって、そのままぐっすり寝ちゃったんだも~ん。
--言い訳タイム。と同時に、運動バカと捉えられかねない前半の印象を、語尾の「も~ん」で乙女要素を追加して緩和。この絶妙なバランス感覚が渡辺曜の強みと言えるかもしれない。
6.だからぁ、実はもうお腹がペッコペコ!
--乙女は擬音語を好む。
7.ねえ、だから一緒に食べない?
--ここが他メンバーと決定的に異なる点。すなわち、メンバーが「チョコ」または「気持ち」を譲渡・伝えているのに対して、渡辺曜は「二人で一緒に食べる」という「イベント」を提供しているのである。
そもそもチョコを一方的に渡すことは、相手側にとって「返報性の原理」すなわち「なにかをもらったら、こちらもなにかを返さなければいけないという心理」が働くことを意味する。それにより「一方的にものをもらってしまったというプレッシャー」(手作りならばなおさら)がかかることにもなりかねない。
しかし渡辺曜の場合はそれも当てはまらない。ここでは①お腹が空いているのは渡辺曜、②食べるのも渡辺曜、③どうせなら一緒に食べる?、というように、最後の提案は比較的優先順位の低いものであり、上記のようなプレッシャー、つまり「遠慮」が起きにくいのである。
8.じゃ~ん! 朝家を出るときに慌ててつかんできたチョコチップクッキーファミリーサイズ!
--このことを踏まえて読み解くと、「慌ててつかんできた」つまり、「手作りではないので手間は一切かかっていない」という事実を示し、「ファミリーサイズ」であることは「お腹が空いた曜ちゃんと相手が一緒に食べても余りある量」すなわち一緒に食べることを遠慮するための障害が見事に取り除かれていることが理解できる。
渡辺曜はこの短い文中で「返報性の原理」による障害を可能な限り取り除き、相手がもっとも受け入れやすい提案内容と環境条件を整備することに成功しているのだ。
9.いっぱいあるから一緒に食べても大満足~!
--「大満足」という言葉は「いっぱいあるから」と「一緒に」というそれぞれの言葉にかかったダブルミーニングである。そもそも「一緒に食べない?」という誘いは、他のメンバーの口説き文句と比較すると弱い。それどころか口説き文句として文脈上読めない恐れの方が高い。
しかし「一緒に」食べたら「大満足」という意味付けをすることによって、「一緒に食べたい」ないしは「食事を共にできるだけの親密な関係性の構築」ができていることを示唆している。すなわち「相手側に対して、一定以上の親近感を覚えている」と解釈できるのだ。
もっともこれは「そのようにも解釈できる」というだけの話であって、事実は渡辺曜本人にしかわからない。しかし、もし相手側に「渡辺曜に対する好意の感情があれば、この解釈に辿り着くこと」自体は十分な可能なはずである。
つまり渡辺曜は「一見なんてことはない呼びかけ」表現によって、「自身に好意がある人間にだけわかる」程度の解釈余地を残し、そのうえで「自身の好意の感情をオブラートに包んで発信する」という荒業を繰り出していると結論付けることができる。
10.これで二人のハッピーバレンタインだね! ヨーソロー!
--最後に「バレンタインは女の子がチョコを一方的に渡すイベント」ではなく「二人の」、つまり「共に楽しい時間を共有するものだ」ということを示唆してまとめに入る。締めはもちろん「ヨーソロー」。キャラ要素を入れることも決して忘れないのである。
4.ユーザーの身近に接近する〈渡辺曜〉
さらにバレンタインメッセージについて調べてみると、興味深いデータが出てきた。
↑この表は、各メンバーのメッセージの中で「視聴者に向けられたフレーズ」(感動詞・呼びかけ、代名詞、疑問文など)を抜き出し、その登場回数をまとめたものである。
見てみると渡辺曜による呼びかけ表現が6回と、もっとも多く使用されていることが分かる。
経験則的にもわかりやすいと思うが、名前を呼びかけられると人間としてはより親密な感情を抱くことになる。つまりこの呼びかけ回数が多いほど、ユーザーはよりキャラに対して親近感を抱くものと推察される。
興味深いのは渡辺曜と津島善子の呼びかけワードの種類と登場回数がほぼ重複している点だ。
これは他メンバーが「相手に対して一方的に話しかける」スタイルを取っているのに対して、この二人は「一緒になにかを食べる」という「共有行為」のスタイルを取っているためといえるだろう。
ほかにも代名詞である「あなた」と「君」の使い分けなど、分析に足る部分が見受けられるが、本筋とはかけ離れてしまうためここでは考察しない。
5.〈リアリティ〉の体現者:渡辺曜
ここまでバレンタインメッセージから〈渡辺曜〉について分析を加えてきた。それにより判明した情報をまとめると、渡辺曜は一種の〈リアリティ〉を体現した存在であるということができる。
つまり言ってしまえば『ラブライブ!サンシャイン!!』に登場するキャラクターは〈フィクション〉であり、キャラも二次元に描写されたイラストに過ぎない。〈フィクション〉であるならば、そこには自由な表現が可能であり、自身の夢や願望を投影することも可能だろう。しかし同時に、我々は〈フィクション〉の中に〈リアリティ〉を求めることが往々としてある。
それは我々が〈フィクション〉を〈フィクション〉として受容し信奉するためには、一種の規則性(世界観・リアリティ)を必要とするからである。これは『ラブライブ!サンシャイン!!』においても同じことがいえるのではないだろうか。
たとえば「バレンタインに好意を持つ女性が、チョコとともに自身も好意があることを告げてくる」というシチュエーションは、実際に現実に起こりうるかと考えたとき、あまり実現可能性が高いとは言えないだろう。その意味でこの事態は〈リアリティ〉はないものの、しかし〈フィクション〉の世界においては成立しうる。なぜなら、〈フィクション〉ではそうした理想や願望を描写し再現することが原理的に可能だからである(他メンバーの例はこちらに当てはまる。チョコを渡さずに求婚するなどは最たるものだろう)。
ここで渡辺曜の例に立ち返ろう。「前日は部活動に追われてベッドでぐっすりと眠ってしまい、当日までバレンタインであることを忘れている。仕方なくあり合わせの菓子を差し出して、一緒に食べることにする」このとき前者の例と比べて、あきらかにこちらの例の方が〈リアリティ〉があると受け取られはしないだろうか。
つまりここで言及しているのは「人は〈フィクション〉の中にも相対的な〈リアリティ〉を求める」という傾向であり、これを体現したのが〈渡辺曜〉であるということだ。
もちろん、渡辺曜にも〈フィクション〉性はある。世界有数の選手しか行えない「前逆宙返り3回半抱え型」を得意技としていることや、絵心があり衣装も作れるといったスペックの高さは〈リアリティ〉がないということもできるだろう。
しかし、繰り返しにはなるが視聴者が求めるのは〈フィクション性〉の中に併在する〈リアリティ〉である。それは言ってみれば、キャラの〈フィクション性〉が9割だとしても、残りの1割に〈リアリティ〉があれば、「リアリティがある」と言える可能性があるということだ。この意味で「リアリティがある」とは「現実を忠実に模倣している」ということではなく、「〈フィクション〉に〈フィクション性〉を見出させないための訴求力」があることを示している。筆者はこれを「『同調可能性』が高い」と表現してみることにした。
6.『ラブライブ!サンシャイン!!』を繋ぐ窓 渡辺曜
では何をもって「『同調可能性』が高い」と言えるのだろうか。以下、ツイッターより引用する。
津島善子に対する渡辺曜の態度がギリギリ健常者側の人を見る時のそれなの最高ですよね pic.twitter.com/AnjbmerNRp
— なびすけ (@nabisuke_R) 2016年7月4日
画像は第一話のものだが、このカットに至るまで話の流れを軽く見て行こう。
1.高海千歌は国木田花丸、黒澤ルビィを見つけて、スクールアイドルに勧誘するも、ルビィの人見知りの性格に驚く。
2.突如として津島善子(ヨハネ)が木の上から落ちてくる。驚く四人
3.ヨハネ「うぅぅ~…腰…!」痛そうに顔を覆うヨハネ。
4.ヨハネ「ぐぅあっ…!」さらにバッグがヨハネの頭に落ちて当たる。
5.千歌「ちょっ…、色々大丈夫?」心配そうにヨハネの顔をのぞき込む千歌。
6.ヨハネ「うぅ~」涙を浮かべて痛そうなヨハネ。しかし状況に気づくと堕天使モードへ切り替える。
7.ヨハネ「うっふっふっふっふ…! ここはもしかして、地上ォ?」
8.四人「うわあ!」驚く四人。千歌「大丈夫じゃ、ない…?」心配そうな千歌。
9.ヨハネ「ということは、あなたたちは下劣で下等な人間ということですか?」ヨハネノリノリでポーズを決める。
10.渡辺曜「うわっ!(ドン引き)」⇒当該画像へ
〈『ラブライブ!サンシャイン!!』第1話「輝きたい!!」〉より
この状況を踏まえて読み解くと、各キャラクターの津島善子へのリアクションは次の通りとなる。
高海千歌: ヨハネの足が痛くないか心配している。
国木田花丸:ルビィを守りながら状況を見守っている(動じてはいない)。
黒澤ルビィ:見知らぬ人に警戒している(ただし極度の人見知りゆえ)。
渡辺曜: 突如降ってきた不審者が意味不明な御託を並び立てたことにドン引きしている。
比較すると、いかに渡辺曜が常識的なリアクションをしているかがわかるだろう。つまりツイート主が指摘している『ギリギリ健常者側の人を見る時のそれ』とは「我々が暮らす日常社会における一般的価値観に準じたリアクションを、ぎりぎり渡辺曜は実行している」ということなのだろう(ギリギリとは、おそらくもっと過剰な反応をしても許容されるという意味だろう。例えば「関わらないように、見なかったことにして立ち去る」など)。
こちらのツイート解釈にて、コメント欄より『「ギリギリ健常者側を~」という言葉は津島善子さんにかかっているのではないか』という指摘をいただきました。
確認したところ、その解釈の方が可能性としては高いということで、こちらで訂正させていただきます。
ただ記事の趣旨としましては、「渡辺曜が現実世界の我々に近しい価値観を持っている」という仮説への導入として紹介しましたので、こちらの追記でのみの訂正とさせていただき、本文そのものは当時の見解としてそのまま残させていただければと思います。
渡辺総研【2016年11月14日・追記】
もちろん、この「常識的」というのは現実世界に即した価値観であり、この『ラブライブ!サンシャイン!!』の世界では常識的かどうかはわからない。ヨハネのようなキャラクターが平然と受け入れられるような世界観だとすれば、むしろ渡辺曜のリアクションこそが「常識外れ」のリアクションになる可能性すらある。
しかしこの渡辺曜の〈普通性〉(この”普通”とは現実世界における、”普通”である)こそが、視聴者に「『同調可能性』を与える」つまり「『ラブライブ!サンシャイン!!』の世界に〈リアリティ〉を与える一助となっている」のではないだろうか。
事実、『ラブライブ!サンシャイン!!』の物語は主人公の高海千歌がスクールアイドルを目指す過程を、傍にいる渡辺曜が見守り、時には支える形で進行していく。この「渡辺曜の視線」は、物語を見守る「視聴者の目線」と大きく重複するものである。その意味で、渡辺曜に備わった「同調可能性」とは、視聴者が感情移入するために設けられた物語の構造論的必然であるともいえるのだ。
このように考えていくと、〈渡辺曜〉は「視聴者が『ラブライブ!サンシャイン!!』の世界を覗き見るための〈窓〉のような役割」を果たしていることに気が付く。つまり「二次元と三次元、フィクションと現実世界を繋ぐ橋渡し役」であり、同時に「両者の境界を取り払い、〈没入感〉を与える」すなわち「〈フィクション〉を〈フィクション性〉のあるものだと感じさせないための補助をする」役割を持っているわけである。
この境界を結びつける働きこそ、「渡辺曜は境界を超越する」という仮説をなにより証明するものではないだろうか。〈渡辺曜〉は二次元と三次元の境界を繋ぎ合わせ、出入り口となる〈窓〉であり、それらを強力に固定するための訴求力「同調可能性」を備えた存在であるといえるのだ。
7.そもそも『ラブライブ!』こそが『同調可能性』の産物である
こうして改めて考えてみると、そもそも『ラブライブ! School idol project』そのものが「境界を超越する」ものであるとわかる。
声優がアニメーションPVにおけるキャラクターのダンスを再現することで、あたかもキャラが現実世界に飛び出してきたかのような感覚を覚える。「ラブライブ!」そのものが境界を超越し、「現実=二次元、ではない」とする違和感を打ち消す「同調可能性」を発揮しているのだ。
もし「同調可能性」という言葉が適切でなければ、〈再現性〉と言い換えてもよい。ここでは「フィクションに没入するために〈リアリティ〉を持ち込む」という従来の構図から、「フィクションをリアルに持ち出すためにダンスや衣装を〈再現〉する」という逆転現象が起こっている点も特筆に値する。
ともかく、『ラブライブ!』というコンテンツそのものが「同調可能性」を高めるものであるとするするならば、〈渡辺曜〉は『ラブライブ!』そのものを体現したキャラクターであるということができるのだ。
8.総括
少し議論が取っ散らかってしまったが、改めて今回の判明点をまとめる。
仮説:「渡辺曜は境界を超越する」
この仮説の下に、以下の考察結果を提示した。
①渡辺曜はバレンタインメッセージから「ユーザーを強く意識した発言」を繰り返した。
⇒液晶という境界線上に分かたれたユーザーとの心理的距離を縮めた。
②渡辺曜が持つ〈リアリティ〉(=普通性)が「同調可能性」を生み出す。
⇒〈フィクション〉に〈フィクション性〉を見出させない働きをする。
③渡辺曜が作品をのぞき込む〈窓〉となり「視聴者の目線」と同調する。
⇒境界を繋ぎ、両者を結び付ける補強の役割を果たす。
④『ラブライブ!』そのものが〈再現性〉を担保するコンテンツである。
⇒「渡辺曜」は「ラブライブ!」を体現している。
以上のようなことがわかったが、やはり「渡辺曜は境界を超越する」と安易に断定することはできないだろう。これが「渡辺曜」というキャラクターのみに適用されるのか、はたまた他のキャラクターにも似たような性質があるのか、現時点では資料・調査ともに十分ではないからだ。
しかし「渡辺曜」の魅力の一つとして、「同調可能性」があるということは、今後の渡辺曜論を議論するうえでも有効なとっかかりとなるのではないかと思う。
《参考文献》
「好意の返報性」を上手に使って恋愛上手に。男性心理を上手に利用して、あの人に告白されたい!|welq [ウェルク]