『ラブライブ!The School Idol Movie』の再放送を受けての、『ラブライブ!』再考記事です。途中で力尽きます。
1.いまだ偉大なるμ's
2017年1月3日(火)午後5:00よりNHK・Eテレにて『ラブライブ!The School Idol Movie』が地上波初放送された。
これは『ラブライブ!』におけるスクールアイドル「μ's」の物語を締めくくる完結編であり、まさに集大成にふさわしい内容である。Twitterでもハッシュタグ「#lovelive」が世界トレンド1位に上り詰めるなど、大きな反響を呼んだ。
一方で、未だ影響力が衰えぬ「μ's」、そして次世代を担う「Aqours」との断絶も浮き彫りとなった。
2.「空気を読む」ということ
元々Aqoursの声優は「μ's」メンバーに言及しない姿勢を堅持してきた。
おそらく事務所や権利関係といった諸々の事情があるのだろうが、無印時代から応援してきたファンからすれば、「μ'sという大先輩のおかげで『ラブライブ!サンシャイン!!』というコンテンツがあるのに、薄情である」と映ったかもしれない。
次の事象は、そうした背景も踏まえた現象だったのだろう。
某まとめサイトに「劇場版ラブライブ!放送中に黒澤ダイヤ役の小宮有紗が「ダイヤのパスケースゲット」とツイート、結果ラブライバーに「空気読め」と言われる」という内容の記事が拡散された。
筆者自身はこの問題を問題とすらみなしていないという立場のため詳述は避ける。少なくとも当事者であるTwitterアカウントを確認したところ、当該ツイートの削除、当該ツイート以降のツイート停止、あるいはアカウントそのものが削除されているのいずれかだった(2017年1月4日時点)。真相は不明だが、判断に足るだけの情報量がないことだけは確かである。
ここで取り上げるのはあくまで「空気を読む」という発言そのものである。この「空気を読め」発言を、あくまで一般的な解釈で読み解くと(当然、これが事実と異なる可能性も多分にある)、「スクールアイドルの大先輩であるμ'sが有終の美を飾る劇場版放送の最中に、後輩であるAqoursの声優が自身のキャラ/作品を宣伝するなど言語道断である=空気を読め」という意味になる。
それではここで言う「空気」とはいったい何なのだろうか?
2-1.「水を差すということ」
結論から言えば、「空気を読め」発言は、「水を差されたことへの怒り」だと解釈できる。
より具体的には言えば「自らの領域を侵されたことへの拒否感」、さらに飛躍すれば「聖域を汚されたことへの恐怖」があったのかもしれない。
少なくとも上記の事象は、「μ'sが登場するスクフェスACの筐体にAqours声優がサインをすることが許せない」とする人々が登場したことと、ほぼ同質の現象とみなせるだろう。
次章ではこれらの現象を分析するために、「『ラブライブ!』を〈祭り〉という概念から読み解き」、考察を加えていく。
3.『ラブライブ!』という〈お祭り〉概念
ここでは〈祭り〉という概念について考えてみる。『ラブライブ!』とはある種の祭りを体現したコンテンツといえるのだ。
3-1.「祭り」概念に類似する『ラブライブ!』の2つの要素
3-1-1.時間軸:スクールアイドルという期限付きアイドル
『ラブライブ!』の重要な要素の一つとして、「スクールアイドル」すなわち「限られた時間の中で何をするのか」というテーマがある。
アイドルとはそもそも期限付きのコンテンツであることは否めないが、それでも「スクール(=学校の)アイドル」としたことは、卒業を逃れられないアイドル、その期限性を強調したものといえる。
3-1-2.空間軸:空間横断的アイドルとしての『ラブライブ!』
また『ラブライブ!』は空間横断的な側面を持つ。
アニメーションにおけるキャラクターのダンスを、その声優自らが再現し、歌を披露する。
二次元と三次元の垣根を横断し、境界を超越するその様は『ラブライブ!』の特性と位置付けられるかもしれない。
3-2.ハレとケ:『ラブライブ!』は〈非日常〉を作り出す舞台装置である
このような時間的区切り、あるいは空間的超越という2つの性質は「祭り」という概念に類似点を見出すことができる。すなわち「日常」と「非日常」の交錯、民俗学的には「ハレとケ」という分類である
「ハレ」は非日常、「ケ」は日常の意味として用いられることが多いが、たとえば「学生として学校生活を送る日常」が「ケ」ならば、「スクールアイドルとしてライブを披露する非日常」は「ハレ」と分類できる。これは作品内における分類になるが、今回は『ラブライブ!』というコンテンツとそのファンという現実の枠組みに主軸を置く。
また「祭り」の概念をより理解しやすくするために、「祭りの構造」についての引用をもとに、『ラブライブ!』における「祭り」概念について考えてみる。
1.聖性
2.日常性からの脱出
3.周期性
4.集団関与
この4つが祭りを形成するのに必須の要素だと引用元サイトでは指摘している。
今回はこの祭りの4要素、そして「ハレとケ」概念を複合して、『ラブライブ!』における「祭り」概念を再構築してみよう。
分類 | 具体例 | 備考 |
---|---|---|
1.聖性 | アニメ、Gsマガ、Liveなど没入できるコンテンツ | ハレ(非日常) |
2.日常性からの脱出 | 学校、仕事などの普段の日常生活 | ケ(日常) |
3.周期性 | 毎週のアニメ、ラジオ、月単位のニコ生など | 「1.聖性」→「2.日常性からの脱出」→1.~という循環 |
4.集団関与 | Liveのコール | 規律訓練・集団意識の形成 |
3-2-1. 1.聖性
聖性は「ハレ」に該当し、つまり非日常のことを指す。
ここでの非日常とは、すなわち『ラブライブ!』というコンテンツ(世界観)に没入することを意味する。
もっともこの「ハレ」の内容は人によって大きく変動すると言わざるを得ない。
たとえば、軽い『ラブライブ!』ファンであれば、「毎週のアニメ本編を見る」だけで「ハレ」を体験できるかもしれない。一方でより熱心なファンであれば、「アニメ本編を見ながらネット上で実況し、他のファンと感想を述べあうなどの交流を深めること」を「ハレ」と位置付けているかもしれない。
いずれにしても、人によってこの「聖性/ハレ」は異なることは確かである(本人の認知と、第三者による設定には当然ズレが生じうるはずだし、そもそもそれらが一致するかは不明である)。
3-2-2. 2.日常性からの脱出
日常性からの脱出は「ケ」に該当し、つまり日常のことを指す。
ここでの日常は、学校、職場といった普段の生活環境のことを思い浮かべてもらえばよい。生きるために、あるいは社会生活を物質的に営む上でで不可避な一連の行為とでも言えるのだろうか。
中には「アニメ本編を見るという習慣は生活環境の一部に組み込まれており、それは『ケ』に含まれるのでは?」と思われる方もいるかもしれない。
しかし「ハレとケ」とは「日常からの逸脱」を示すものであって、空間的・時間的逸脱であるとは限らない。「アニメを見る/学校に行く」という行為がどちらも日常空間の中に行われるものだとしても、そこから逸脱することは可能である。俗的な表現をすれば「時がたつのを忘れてしまう」行為とは、このような逸脱に該当する「ハレ」といえるかもしれない。
また生きるという行為にエネルギーを消費するという意味での日常(=「ケ」)と、生きるための糧を得る(=エネルギーを補給する)という意味での非日常(=「ハレ」)という分け方であれば、前者は「ケガレ」と置き換えることもできるかもしれない。「ケ」を過ごすこと疲労を蓄積させ、ただ生き続けることが困難である。だからこそ日常に回帰するために「ケガレ*1」を落とす「ハレ」に身をゆだねるのだ。
3-2-3. 3.周期性
「ハレ」と「ケ」は周期的に訪れなければならない。
これは1週間でも1年でもよい。少なくともいつか来るものであると認知できるものでなればならない。
3-2-4. 4.集団関与
集団関与とは、「祭り」の中で見られる特定のルールに基づいた集団行為のことである。『ラブライブ!』で言えば、LIVE中のコールがわかりやすい。
楽曲中の特定のタイミングで決められたコールと共にサイリウムを振るなどの行為は、ライブの一体感を醸成するのに役立つ。これらの集団規律は、集団に属する人間にアイデンティティを付与するほか(ここでは「ラブライバー」といった肩書など)、個人は集団規律に身をゆだねることで改めて自己のアイデンティティを再確認することができる。
3-3.祭りに水を差す
以上のような仮説に立つと、「空気読め」発言は次のように分析できる。
すなわち、『劇場版で「μ'sという祭り(=「ハレ」)」に身をゆだねる最中、Aqours声優のツイートを目にすることで、「μ'sは終わった(=祭りは終わった)」という現実(=「ケ」)に引き戻されてしまった。それゆえに「空気を読め」』ということだったのだろう。
これが正しいとするならば、空気読め発言をした人々は、単に祭りを続けていたかっただけなのかもしれない。しかしここで主題としたいのは、彼らが「μ'sを終わったもの」と受け止めている点だ(ここからは筆者の推論になります)。
「空気を読め」という発言からは、「μ'sという祭りは終わったこと」を理解しているようにも思える。理解しているからこそ、「その幻想を壊されたくない(=夢を見ていたい)」という思いがあり、だからこそ否定ではなく「空気を読め」という発言なのではないか。
ここではひとつの共同幻想を維持するために、人々の意識下である種の力学が働いていることに着目する。
3-4.祭りの入場条件は楽しむこと?
アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』第13話の放送直後、キャラクターデザインを務めた室田雄平氏は次のようなツイートをしている。
サンシャインに関わった、サンシャインを楽しんだ全ての人に圧倒的感謝です!*2
言葉尻を捉えるようで大変恐縮ではあるのだが、この発言からは「サンシャインを楽しめなかった者は、上記発言の対象範囲には含まれない」と暗に言っているようにも思える。
第13話「サンシャイン!!」はいわゆるミュージカル回である。その演出について、初回放送時には視聴者から賛否両論を生み出した回でもあった。
楽しむという行為は共同幻想を維持するための力学であり、祭りに参加するための入場チケットいえるのかもしれない。
このような『ラブライブ!』コンテンツというプラットフォームにおいて、筆者は「そこに祝祭空間が形成されている」と考えている。
4.その他:余談というか蛇足
以下、筆者が力尽きたのでダイジェストでメモを書き連ねていきます。
4-1.神田明神という文字通り聖地
神田明神にはいまだに『ラブライブ!』絵馬が絶えず、文字通り聖地としての体裁を保ち続けている。またμ'sのイラストを拝むという光景が世界各地で観測されている。
文字通り女神となったμ's、その偶像崇拝はもはや信仰の域に達しているようにも見える。果たして、どのように解釈すればいいのか
4-2.『ラブライブ!』とは青春の追体験である
これは筆者の言葉ではないのですが、その通りだと思います。
『ラブライブ!』のファン層はどこかがデータ公開していたかと思いますが、『ラブライブ!サンシャイン』のファン層の実態についてはまだ不明ですね。どこまで無印トライブを取り込めたのでしょうか。
4-3.「無印トライブ」と「サンシャイントライブ」
ラブライバーをさらに分類して分析する必要はあると思うんですよ。便宜上トライブと書いているのですが、推しによっても変わるでしょうし、推しCPとか声優とか含めたら、際限ない気もするし…う~む。
4-4.社会関係資本としての『ラブライブ!』再考
社会関係資本はアイドル論ではわりと語られている言葉ですね。おそらく『ラブライブ!』に限らずですが、聖地巡礼などもこの概念がキーになってくると思うなあ
4-5.ラブライバーから見るマイルドヤンキー論
こちら*3に触発されました。いつかは分析してみたい。
5.反省
もっと軽いコラムを書くつもりだったのですが、収拾がつかなくなりました。備忘録用に置いておきます。
【参考文献】
- 「ラブライブ!」劇場版アニメーションを地上波初放送! | 注目!情報 | NHKアニメワールド
- 『ラブライブ!』ツイッターの世界トレンドでも1位!!強すぎるわ・・・・ | やらおん!
- 希曜推しライバー もんちゃん on Twitter: "ラブライブ関係のトレンド率が凄い!
- 【悲報】サンシャイン・ダイヤ役の小宮有紗さん、劇場版ラブライブやってる時間に「ダイヤのパスケースをゲット」とツイートしたら、ラブライバーに「空気嫁」と言われる | やらおん!
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【悲報】『ラブライブ』NHK放送中にサンシャイン声優・小宮さんが「ダイヤのパスケースゲット」とツイート →「空気読め」と言われる | | にじぽい
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小宮有紗さんに難癖付けてる奴【劇場版ラブライブ!】 | Aqours☆PUNCH!! ~ラブライブ!サンシャイン!!情報サイト~
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