渡辺曜研究委員会

渡辺曜について考察するブログです。

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渡辺曜を再考する⑨:「渡辺曜はなぜ職業制服を好むのか?~〈不在性〉とアイデンティティへの渇望を読み解く~」

渡辺曜を再考する⑨:「渡辺曜はなぜ職業制服を好むのか?~〈不在性〉とアイデンティティへの渇望を読み解く~」

 

 渡辺曜の「職業制服好き」という設定について考察した記事になります。

 

*第9話の描写について一部言及があるため、本編未視聴の方は閲覧注意です。

目次:渡辺曜を再考する⑨:「渡辺曜はなぜ職業制服を好むのか?~〈不在性〉とアイデンティティへの渇望を読み解く~」

① 仮説④:「”渡辺曜の制服好き”は自己の〈不在性〉から由来するアイデンティティへの渇望である」

②渡辺曜という〈器〉

③総括

④ 渡辺研究庫:資料file-21「Twitter8月18日まとめ」

 

 アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』では複数回にわたって渡辺曜の制服好きという描写を示してきました。先日放送された第9話「未熟DREAMER」においても、渡辺曜の異常ともいえる制服への執着心を示すシーンがありました。

 

 このことを踏まえると、「渡辺曜の制服好き」という設定には並々ならぬ考察余地があるとみるべきです。そこで筆者が以前から持ち合わせていた仮説をここでは検証したいと思います。

 

仮説④:「”渡辺曜の制服好き”は自己の〈不在性〉から由来するアイデンティティへの渇望である」

 

 そもそも制服とはなにかと考えたとき、そこには様々な意味合いが含まれますが、ここでは「制服とは社会的地位を視覚化したもの」であるという観点から考えてみたいと思います。

 

 つまり学生ならば学生服、警察官なら警服、キャビンアテンダント、軍人などというように、様々な社会的階級、身分・地位を一目で示すことができる一種の象徴化、それが「職業制服」と呼ばれるもの特性と言えます。

 

 筆者が上記の仮説を提示したのは、「渡辺曜には確固たるアイデンティティがなく、そのためアイデンティティが視覚化され明確となった制服への憧れがあるのではないか」という考察をしたためです。渡辺曜の完璧さ・ハイスペックさについては過去記事で言及していますが、

wtnbyou.hatenablog.com

 「渡辺曜はなんでもできるからこそ、何者にもなれない」というような「自身の確固たるアイデンティティの不在性(=自分は何者なのかという疑義)」があるのではないでしょうか。

 

 

  そのように考えると、第7話「TOKYO」で見せたコスプレの数々も理解できます。渡辺曜の「自身が何者でもない」という自己規定の不明瞭さこそが、職業制服を身にまとうことでアイデンティティを獲得しようとしてする行為に結び付くのではないでしょうか。

 

 少し大げさに書いたような気もしますが、簡単に言えば「個性がない」「特別でありたい」という思いであり、思春期には誰しもに訪れる悩みと言えるかもしれません。その意味では渡辺曜だけではなく、他のキャラにも同様のことは言えるでしょう。その中でも特にわかりやすいのが、津島善子というキャラです。

 

渡辺曜という〈器〉

 

 津島善子も「普通」という無個性から脱却するために「ヨハネ」という強力なキャラ付けを設定し、アイデンティティを確立させようとしました。渡辺曜のコスプレとの違いは、視覚的側面だけにとどまらず、メンタル面でのコスプレを行ったという点でしょうか(つまり”なりきり”)。そのヨハネも興味深い発言をしていました。

 

ヨハネこの体は単なる”器”なのですから

〈第1話「輝きたい!!」より〉

 

 器、すなわち「津島善子の身体は単なる道具であり、ヨハネという本質を収める入れ物に過ぎない」という意味でヨハネは述べたのでしょうか(当時の文脈上では)。

 

  これは渡辺曜にも当てはまることのようにも思えます。

 

 つまり渡辺曜という〈身体〉は単なる器であり、本質ではない。そこに本質がないからこそ、職業制服という外的要因をまとい、アイデンティティを獲得することができる。本記事ではあまり述べませんが、これは筆者の考察にとっては非常に都合のいい箇所であったりします。

 

 具体的には巫女のコスプレをした渡辺曜です。巫女を「女性のシャーマン」とみなせば、それはそもそも神懸かりを行うための依代であり、〈器〉でもあります。渡辺曜という一種の〈場〉に、様々な言説が吹き込まれるという筆者の「渡辺曜概念」研究のヒントとなった箇所であったりしますが、ここでは触れません。

 

 では、以上のことを踏まえて9話の描写についても見ていきましょう(ネタバレ回避のため、本記事では第9話の画像は貼っていません。下の引用リンクより参照してください)。

 

*ぬちゃんねる:ラブライブサンシャイン!9話で渡辺曜が落下した衣装を取ろうとし、ベランダから落ちそうになりました - livedoor Blog(ブログ)〈http://www.nuchan.net/archives/9944248.html

 

 Twitterの反応などを見てますと、「制服フェチ、渡辺曜」「ガイジ」「犬属性」など様々なコメントが寄せられていました。

 

 大半は「渡辺曜の制服好き」という設定を補強したことや、ギャグ的な要素に対する言及でしたが、一方で「渡辺曜の常識人という印象が崩れた」「匂いで制服と判断するとはこいつは犬か?」といった疑惑のまなざしも向けられていました。

 

 しかしここでは「渡辺曜が地上に落下する危険を顧みず、制服に飛び込んだ執着心」という観点から言及したいと思います。

 

 仮に上記の仮説が正しいとすれば、渡辺曜の制服への執着心は一定の理解ができます。渡辺曜は自身が器であることを認識し、制服という外的要因によって自己規定を行っているとするならば、当然自身の命よりも制服の方が優先順位が高いといえるでしょう。

 

 第9話放送後、同様の言及をされている方がTwitter上にいらっしゃいました。

 

 器というと少々言い過ぎかもしれませんが、渡辺曜の描写の少なさを考えると、来るべき渡辺曜回に生かされる要素として、これらの描写が関わってくるのかもしれませんね。

 

 また、少し見方を変えてみますと、”ようちか”的には次のように考えられます。

 

 ようちかでは「〈普通〉の高海千歌と〈特別〉な渡辺曜、二人の間には大きな隔絶がある」というひとつの言説があるのですが、特別な渡辺曜が高海千歌に寄り添うために、制服というコスプレをすることで〈普通性〉を獲得するという風にも捉えられるかもしれません(津島善子とは逆の図式)。

 

 競技水着を着れば「飛び込み選手」として確立してしまう渡辺曜は、高海千歌と一緒にいるときには普通性をまとう制服でなければならない(だから渡辺曜の競泳水着姿は出てこない、回想を除いて)、というようちか案件ですね。

 

 第9話で松浦果南と千歌が飛び込みの練習をしている描写がありましたが、あそこに渡辺曜の姿がないのも、わりと重要なシーンなのかもしれませんね。

 

総括

 今回の考察では以下のことを示しました。

 

・仮説④:「”渡辺曜の制服好き”は自己の〈不在性〉から由来するアイデンティティへの渇望である」の検証

・〈器〉あるいは〈場〉としての渡辺曜の提示

 

  まあ、一考察に過ぎないのでとくに結論が出るわけではないですね。過去記事でも少し述べたかもしれませんが、筆者自身もこのような考察をいくつか持ち合わせているため、これからは積極的に考察記事も投稿していきたいと思います。

 

P.S. 最近どうも「ようちか」に引きずられた考察をしがちなところが。より客観的な研究のためにも、ようちかの沼にハマらないよう意識しています。これからより一層気を付けます。

 

渡辺研究庫:資料file-21「Twitter8月18日まとめ」

f:id:homeless467:20160721143008p:plain

 2016年8月18日の「渡辺曜」関連ツイートのまとめです。

 

 文脈理解のために補足資料も置いておきます。

www.asahi.com

 

 

www.youtube.com